朧月庵

なんか書いたりします

加波山に登ってきた話

都道府県魅力度ランキングにて万年最下位の勇名を馳せる茨城県
ですが、それは今様な人々がレジャー・行楽に遊ぶスポットに乏しい*1だけの話。
その道の人間を満足させるディープなスポットというのは、存外多く在るのです。

今回は、そんなスポットの一つ「加波山」に登ってきました。
加波山茨城県最北部から続く「八溝山地」の最南端、十数峰から成る「筑波山塊」の一枝峰であり、主峰筑波山(877m)に続いて二番目の高さ(709m)の御山です。

この筑波山塊に属する山々では旧くから山岳信仰が盛んであり、特に加波山茨城県全域~栃木県、埼玉県の一部を含む広大な信仰圏を有した「加波山信仰」で有名なのだとか。

幕府の庇護を受け隆盛した筑波山*2に対し、自力で収入を得る必要があった*3加波山の寺社は、

  • 「センダツ」*4とそれらの率いる「講」を組織化し、講に所属する一般信者も含めた巡拝。
  • 周辺部落を巡幸する神輿による布教活動(神幸祭のようなもの)。

という2つの要素を中心に積極的な布教活動を行い、広範に知られる存在となったようです。

お社の形態としては三種類、

  • 「山宮」:山頂付近に存在する本殿、および拝殿。
  • 「石宮」:山中に存在する巨岩・奇石の霊場、禅定場。
  • 「里宮」:村落内に存在する社殿。

があります。

また一口に「加波山神社」と言っても、出自の異なる3系統の「加波山神社」が存在しています。
それぞれ「本宮」「親宮」「中宮」と呼ばれており、山頂付近にはそれぞれの本殿、拝殿があるようです。
このうち里宮については大正期に親宮が本宮の管理となり、本宮の里宮が親宮のそれを兼ねる形となったため、本宮・親宮の里宮と、中宮の里宮の2箇所が現存しています。

さらにさらに、本宮・親宮を纏めた「加波山三枝祇神社*5中宮こと「加波山神社」とは対立関係にあり、例えば中宮の里宮の境内には「昨今、当神社の社名を不正に使い参拝者を惑わす神社が有りますので注意してください。」なる物々しい立て札があったり......

うーん、ややこしい......

ちょうど良い感じに整理してくださっている方のサイトを見つけました。

f3-list.net

中宮は八郷の方にも里宮があるようなので、そのうち行ってみます。

御祭神を並べてみますと、

  • 伊奘冊大神
  • 速玉男大神
  • 事解男大神(※熊野権現
  • 天津比古根神(※茨城国造の祖神)
  • 建許呂神(※茨城国造の祖)
  • 八雷神
  • 高龗神
  • 闇龗神
  • 荒沢大神(※アラサワサン、荒沢不動明王
  • 岩切大神(※イワキリサン、イヅナサマ、岩切伊綱大権現とも。大天狗として扱われている)

といった面々。
よくある山岳信仰の御山のお社っぽい面子に、当地縁の神格やらを混ぜた感じですね。
八雷神、高龗神、闇龗神、とある所から、治水と祈雨の神社といった側面もありそうです。
それらに加え、修験道霊場としてだけでなく、殖産神や除災神としても信仰されていたと考えられています。
現代に残る祭事のうち、冬至に行われる火渉祭にその面影を窺うことができるでしょう。

さて、前置きがだいぶ長くなりました。
例によって画像が多めですので、閲覧環境にはお気をつけください。




まずは県道41号線を北上し、桜川市真壁町を目指します。
ちょうど1年と少し前、雨引山に向かった時と同じ道のりです。

→ 雨引山に向かった時の記事はこちら。 hazymoon.hatenablog.jp

実は雨引山も筑波山塊の一部であり、加波山は雨引山より2つ南の峰になります。
ということで、前回よりも手前で山側に折れ、住宅街を進むことしばし。
鳥居対面の駐車場に車を停め、行程開始です。

加波山神社(中宮) 里宮

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まずは駐車場の目の前、加波山普明神社です。
隣接していることもからも察せられる通り、中宮系列のお社だとか。

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そしてお隣、こちらが中宮の里宮です。真新しい極彩色の社殿が印象的。
山中の禅定場や山宮に直接詣でられない方向けの拝殿であり、同時に里での信仰の拠点となっていた場所とのこと。

後述しますが、この中宮関連の施設は箱根大天狗山神社なる新宗教と緊密な関係にあり、この団体の支援を受けて社殿の整備を行ったようです。

加波寝不動明王(寝不動尊

里宮を後にして、傾斜のついた舗装路を登っていきます。
途中、舗装路の脇にこのような場所がありました。

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立て看板曰く、ここは二合目で、どうやら登山道はこの先に続いている模様。

鳥居を潜ると、すぐ左手にお堂がありました。

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不動尊とのことです。
お堂の中は覗けませんでしたが、お外に一体、お不動様の像がありました。

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どうやらこちらも近年再建されたようです。

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お堂の裏にあった道祖神
御幣?が祀られていますので、ここも山中霊場の一つに数えられていると思われます。

不動堂を後にして、登山道へ。

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低木が多く視界は悪いですが、道筋がしっかりついているので迷うことはないでしょう。
ただし藪が多く、近くに水場があるので、夏期には通りたくないかも。

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見えにくいですが、登山道脇にコンクリートの構造体があります。
この奥が沢になっているようで、水音が絶えず聞こえていました。

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この辺りには石宮らしきものは見当たりませんでしたが、加波山の銘が入った石があるあたり、古くから登山道として使われてきた道のようです。

天狗之庭

10分ほど歩くと一旦山道が終わり、先ほどの舗装路と合流します。
つまり古い登山道と現在の登山道の交差点になっているのですが、この辻に一際目を引く廃墟がありました。

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天狗之庭、あるいは大天狗神社だそうです。
「大天狗神社」...... あっ、ふーん(察し)。

なんというか、ステレオタイプ新興宗教の施設って雰囲気ですね。
南京錠の様子等から、ちゃんと管理はされているようです。

中には入れなさそうでしたが、門の隙間から撮影。

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天中坊大天狗。この神社(施設?)の主神だそうです。
この手の廃墟にも関わらず、ガラスケースの状態は良好でした。

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こちらは岩切大権現。
ちょっと検索してみた感じでは、この施設の詳細を記述している Web ページは見当たりませんでした。
暇な方は調べてみると面白いかも?

加波山神社本宮参道その1

この当たりは三合目にあたるそうです。
舗装をを横切り、天狗之庭の横道をしばらく進むと古い石鳥居があります。

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こちらも正しい登山道です。
おそらく、本宮側の登山道がこちらで、舗装路の方は中宮側の登山道なのでしょう。

石鳥居を過ぎて少し行くと石切り場があり、麓を見渡せる開けた場所がありました。

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ここ加波山を含む真壁周辺は石の産地として有名であり、採石場がそこら中にあります。
先の舗装路も、神社参拝のためというよりは切り出した石の運搬に使うため整備されたようです。

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ここからは、再び狭い山道が続きます。

石宮らしきものを探しながら登っていましたが、頂上付近まではそれらしいものは見当たりませんでした。

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これとか、たぶん人為的に掘られていると思う..... んですけど。

そうそう。途中、このような石碑がありました。
「水道施設記念碑」とあります。

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山上にある修行者の生活施設に送水するためのもののようです。
参考文献の2つ目にあったインタビューに、先述の山先達の見習いたちは生活用水を山上に運ぶことが役目、あるいは修業の一貫であったそうですが、水道の完成でその必要が無くなったというエピソードがありました。

林道

途中、林道らしき開けた場所を横切りました。
車の轍もあり、どこからか登ってこれると思われます。
(正直、ここまで見どころが薄いので、ショートカットできるならここからでもいいかも)

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今まで登ってきた参道を振り返って一枚。

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加波山神社本宮参道その2

では改めて登っていきます。
が、直ぐに様子が違うことが分かりました。

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不動尊にもあった御幣です。
どうやらここも霊場の一つのようですね。

先の林道より上にはそこら中にこの御幣がささったスポットがあり、見どころが一挙に増えます。

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こんな感じの石碑や、自然の岩石を祀った場所が随処にありました。

山道を進んでいくと、こんな感じの鳥居が。

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辺りには先達の顕彰碑が立ち並んでいます。
この鳥居の奥手に見える階段が、最後の上りでした。

加波山三枝祇神社(本宮) 山宮

上った先には、ごく普通の民家のような建物が。

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どうやら、こちらが山先達たちが使っていた生活施設のようです。
"使っていた"というか、バリバリ現役の社務所ですね、これ。
8月に行われる、夏山禅定などで使われるのでしょうか。

奥手には、本宮の拝殿がありました。

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さて、社務所に戻り、燕山*6側へ尾根伝いの道を行きます。
ちなみに、本宮拝殿の脇に、一本杉峠を経由してお隣の足尾山へ至るハイキングコースがあるようでしたが、時間の関係で今回はスルー。

行く手に御幣が祀られた巨石や祠が見えてきました。

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どうやらこの辺りにあるのが石宮のようです。
斜面の下側に道が続いているようですが、まずは先にこちらにお参り。

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本宮の本殿ですね。
石垣も立派なもので、往時の権勢を忍ばせます。

石宮その1

尾根伝いの参道は本殿の裏手に続いていましたが、一度戻って石宮を見てみたいと思います。

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まさに"磐座"って感じ。

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千人講結社記念碑、とあります。

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ここまで来ると、「石宮」の呼称も頷けますね。
"宮"だわ。

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庚申塔もありました。
"講"と聞くと、庚申待を想起する方が多いんじゃないでしょうか。
ここでも、深夜に登山をしたりしたのでしょうか。

その他、山肌沿いに大小様々な石宮がありました。

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中にはこんなカラフルな紙垂が下がっているものも。

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足利ということは、今の栃木のあたりから来たのでしょうか。

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山先達の碑。

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加波山の麓、真壁にも当然ながら講が存在したようです。

加波山神社(中宮) 山宮本殿

あらかた見終えたので、本宮の本殿に戻り、その裏手から先へ進みます。

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結構急斜面。

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しばらく進むと、こんな石碑が。

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「自由之魁」
自由民権運動の激化事件の一つ、「加波山事件」に関する石碑のようです。
加波山事件は、1884年(明治十七年)、急進派の自由党員が明治政府転覆を企み加波山中で挙兵、鎮圧されたというもの。
日本史の授業で名前を聞いたことがあるかもしれませんね。

しかし、こちらは船橋市の講社によって建てられたとか。
加波山の信仰が広大な範囲に渡っていたことが実感できます。

この碑のすぐ上手に、中宮の本殿がありました。

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祭祀の跡か、足元にはこれまた色とりどりの紙吹雪が散らばっています。

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お社の付近は開けており、眺望がとても良かったです。
これで晴れていたら完璧でしたね。

たばこ神社・加波山三枝祇神社(親宮) 山宮

中宮本殿を後にして、山道を進んでいきます。

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壁面になにか刻んであったり......

そこいら中にある御幣を見遣りつつ進んでいくと、真新しいお社がありました。

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たばこ神社だそうです。
葉煙草関係の豊作祈願を行っているのかと調べてみると......

www.city.ishioka.lg.jp

どうやら当たりのようです。
しかも、「きせる祭り」なるお祭りまで開催されているとか。
これは次回見に行ってみようかな......

また、たばこ神社から少し下りたところに、もう一つお社が在りました。

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こちらは親宮の山宮のようです。これが本殿......かな?

石宮その2

行きは本宮・親宮側の登山道でしたが、こちらは中宮側の登山道。
例によって大量の石宮がありました。

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(うわ、写真が下手だ) 一見普通の登山道に見えますが、石の影などにも御幣があります。
うっかりしていると踏んでしまいそう。

山道を下りていくと、先程も見た山先達達の顕彰碑が大量に並ぶエリアに差し掛かりました。

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軍馬の顕彰碑とかもある......

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加波山神社(中宮) 山宮拝殿

こちらを過ぎると、中宮の拝殿裏手に辿り着きます。

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里宮ほどではありませんが、絢爛な修繕がされています。

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こっちは親宮の拝殿......かな? でも、親宮を管理してるのは本宮のはず?ややこしい......

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拝殿前には、本宮修復の詳細を綴った記念碑が。
......"本宮"?

本当に根が深そうな奴だ......

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境内には何故かプロペラと錨が。
参考文献の1で考察されていた通り、加波山に「海上安全、大漁などの漁の神的性格」が見られているなら錨は分かるのですが、プロペラ......?
特に謂れを説明しているものも無し......

とググってみると、こんなページを見つけました。
dansa.minim.ne.jp

昭和三十七年に墜落した、航空自衛隊の練習機のプロペラだそうで。

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境内を出ると、立派なしだれ桜がありました。
これはシーズンにぜひ来てみたい。

加波山神社中宮参道

さて、今度は中宮側の参道を通って帰りましょう。

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入り口に"真壁方向"の案内板が一つあったきりで心配ですが、まあハッキリとして道筋がついているのでどこかには出れるでしょう。

途中林道を横切りましたので、間違いなかったようです。

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しばらく歩いていくと沢音が。
麓で聞いた水音の源でしょう。
山椒魚谷とのこと。

と、これ以降は特に見どころも無く、五合目まで下りてきてしまいました。

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これも本宮側と同じで、林道まではショートカットしてもいいかもしれないですね。
一般車が入れるか分かりませんが......

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五合目を過ぎると、見覚えのある舗装路が。
これを辿っていけば、先程の天狗之庭へ辿り着けるのでしょう。

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山裾の真壁町を眺めて。

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途中、ガレ場のすぐ脇を通りました。
先述の通りこの近辺は採石場が多く、道路沿いから綺麗に掘削された山肌が見えたりします。
一応山岳信仰の御山のはずなのですが、容赦なく資源にされちゃってますね。

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道端の祠。

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というわけで、天狗之庭の前、2つの参道の合流地点である桜観音まで下山してきました。
これにて本日の活動は終了です。

写真を撮りつつ、休憩がてら写真をTwitterにupしつつだったためか、駐車場から行って帰っての総行程で3時間20分程でした。
正直期待以上のものが見れて大満足の日でしたね。
平日ということで誰にも会わず、山頂付近の石宮をじっくり見て回れたので大変良かった。
そのうち、真壁側の里宮にも足を運んでみますかね。

参考文献

記事冒頭にある加波山信仰の説明を執筆する際に参考にしました。
* 加波山の信仰, 神原百世, 西郊民俗, 第159巻, pp.28-40, 1997.
* 茨城県中部における山岳行者の修行過程 -加波山センダツの事例から- (上), 門倉 圭, 史境 第31号, pp.46-60, 1995.
* 茨城県中部における山岳行者の修行過程 -加波山センダツの事例から- (下), 門倉 圭, 史境 第33号, pp.33-48, 1996.

*1:万人向けでかつ"茨城県特有"の観光地が少ない、あるいは不便な所にあるというのは概ね認める所。

*2:もちろん神社や修験道の施設としてではなく、筑波山知足院中禅寺という寺社として庇護された。こちらは明治の廃仏毀釈運動に伴い一部を除いて破壊され、現在は坂東三十三箇所「大御堂」のみ残る。

*3:慶安元年に樺山権現領として100石が認められているが、とてもではないが寺社組織の運営には足りない。ちなみに筑波山は5代将軍綱吉の頃には寺領1,500石を数えている。

*4:山先達。十年間の修業の後、宮司の面接を受けた上で免許が与えられた者で、加波山神社に係る祭祀を担う他、講中や巡幸先で求めに応じて病気祈禱や地鎮祭などの一般的な祈禱師の職務に従事した。

*5:かばさんさえなづみじんじゃ

*6:つばくろさん