去る2018年の5/22~5/24にかけて、宮守・遠野に行ってきました。
22日の深夜にネオイバラキを発ち、23日の日の出頃に現地着。
そのまま早朝の宮守探索を終えた所です。
宮守探索の様子はこちら。
というわけで、午前中は遠野市を巡ります。
前記事では宮守にしか興味が無いような書き方をしていましたが、
全くそんなことはありません。
咲-Saki-以前から遠野物語は読んでいましたし、東方クラスタ的にはデンデラ野も抑えておきたい。
民話のふるさとという事で、もちろん一度は行ってみたい場所なのでした。
実は1歳だか2歳だかの頃に行ったことがあるらしいのですが、当然憶えていません...
例によって画像が多いので、閲覧環境にご注意ください。
程洞稲荷神社
宮守を後にしまして、改めて釜石街道を東へ。
遠野市街の少し前、釜石自動車道の(現)終点あたりで山側に折れます。
工事車両とすれ違いながら山道を行くことしばし。
程洞のお稲荷様です。
市街からはかなり遠いような気がしますが、昔はこのあたりにも集落があったのでしょうか。
山道に古タイヤが埋め込まれた参道をのしのし登っていきます。
境内には水神社がありました。
本殿はこんな感じ。
こちらは稲荷神社の方です。
流石に山中ということで痛みが激しいのでしょうか、
防護ネットのようなものがかけてありました。
そしてこちら境内社。
八咫烏と並んで祀られているのが......
麓の案内板にもあった、コンセイ様です。
こう... 精力とかなにがしか隆盛するものにご利益があるそうです。
いやあ、 ご立派!
こちらは八咫烏。
実は本堂裏手から、高早大明神というお社に行けたそうなのですが、この時は分からず......
お参りした後、そのまま下山。
近くにある五百羅漢まで降りてきました。
運転の疲れが出た私は車で休憩、ゾチ君は元気に山を登っていきました。
山の麓にあった熊出没注意の看板。
実際この日、この近くで熊が目撃されていたようで......
新里愛宕神社&卯子酉神社
山を完全に降りて、市街地に近づきます。
街道沿いにこんな場所がありました。
新里愛宕神社です。
遠野物語拾遺 六十四等に登場します。
愛宕様自体はそう珍しいわけじゃないですが......
街道側にあるわりには、やたらと険しい参道です。
本殿はこんな感じ。
そして、愛宕神社の麓にはこんな場所も。
卯子酉神社です。
こちらは遠野物語拾遺 三十五に登場します。
縁結びの神社として有名で、それっぽい参拝者の方がいましたね。
祈願文を書いた赤い帯が境内中に吊るされていて、なかなか見ごたえある光景でした。
とおの物語の館
さて、遠野市街までやってきました。まずはとおの物語の館へ。
遠野市立博物館の分館であり、遠野地方に伝わる物語や柳田國男に関わる展示物、
昔話の聞き語りなんかが体験できます。
民話の展示はメディアアート形式のものが沢山あり、子どもだけでなく大人でも楽しめるかと。
昔話体験は、完全にリスニングの試験状態でした。
4割ぐらいしか聞き取れなかった......
プログラムは次の4つでした。
大判小判が天から降る夢を見た翁の話
→天福地福という奴ですね。
cf. 天福地福 新潟県の民話 <福娘童話集 日本のふしぎ話>貧乏だが信心深くお供えをし続けた翁の話
→詳細は聞き取れなかったのですが、貧乏だが毎日欠かさずお宮(?)にお参りをしていたおじいさんが、お参りの帰り道に落とし物をしてしまい、それを探すと宝(?)を見つけ裕福になる。
その話を聞いたいじわるなおじいさんが同じことを試すも当然何も起きず......
みたいなお話だったと思います。うろおぼえ。そら豆の腹にある黒い筋の由来
→話としてはこんな感じ。
cf. 豆と炭とワラ(まめとすみとわら) - 岩手県の昔話 - 民話の部屋 | フジパン
知らなかったのですが、割と有名なタイプの説話のようです。
cf. http://ko-sho.org/download/K_028/SFNRJ_K_028-05.pdf (リンク先pdf注意)5/5に菖蒲と蓬を家に飾ることの由来
→これも有名なお話ですね。
cf. 五月の菖蒲と蓬(ごがつのしょうぶとよもぎ) - 岩手県の昔話 - 民話の部屋 | フジパン
前の記事で紹介しましたが、早朝に辺りに立ち込める蓬の香りを嗅いでいましたので、その場面をよく想像することができました。
確かに、少々の臭いは分からなくなりそうです。
展示館内にあった柳田翁のお言葉。
これになりてえ......
お昼ご飯はお蕎麦。
とおの物語の館に併設されているお食事所です。
館内外部にあった遠野の観光名所マップ。
いくつかあったマップの中で、これが一番見やすかった。
会下の十王堂
物語の館を後にしまして、市街を東に向かいます。
住宅街の間を縫うように車を走らせまして、次の目的地に到着です。
遠野物語拾遺 六十八に登場する、会下の十王堂です。
お堂の中には十王様たちがいらっしゃいます。
境内にはこれまた立派な桂の木。
伝承園
次の目的地へ向かいます。
市街地を縦断し、遠野の街の北東部へ。
遠野伝承園。
遠野地方の伝統的な生活様式を再現し、種々の体験活動もできる施設です。
南部曲がり家の建物がいくつも立ち並びます。
薄暗い室内では座敷童子がお出迎え。
さて、伝承園で一番の見どころといえば、これでしょう。
オシラ堂です。
養蚕の起源説話として有名なオシラサマ(遠野物語 十四等に収録)を大量に集め、展示しています。
千体を超えるオシラサマが四方の壁に掛けられている様相は、まさに圧巻です。
オシラ堂の外観はこんな感じ。
カッパ淵
カッパ淵までは、伝承園の駐車場に車をおいて徒歩で向かいます。
道中にありました何某か。鳥居?
常堅寺というお寺の裏手に回りますと、こんな場所があります。
遠野各所で販売しているカッパ捕獲許可証を持っていれば、ここでカッパ釣りができます。
ちなみに、表の常堅寺には国内唯一の"カッパこま犬"がいます。
なかなかかわいい顔をしています。
デンデラ野
さて、車に戻りまして、次は旧山口村の方に向かいます。
治水工事をしている最中でしたが、とりあえず目的地には行けそうです。
ここにも熊出没注意の看板が......
土手を登ると......
まさしく遠野の里の外れに位置する、ここ山口デンデラ野。
60歳を迎えた老人たちが行き着く果ての地として、これ以上ないロケーションに思えました。
山口村を行く
ここ旧山口村は遠野の外れではありますが、遠野物語の話者「佐々木喜善」の生家*1があるなど、いくつもの旧跡があります。
ここ、ダンノハナもその一つ。
遠野物語一一四にある通り、昔は刑場があったと言われる土地だそうです。
佐々木喜善の墓もこちらにあるそうですが、現役の墓地だったので特に行くことはしませんでした。
というか、遠野物語の時点で村の共同墓地と書かれているので、この墓地自体もかなりの歴史を持っていることになりますね。
続いて、畔道を走っていると、道端にこんな鳥居が。
調べてみると、"薬師堂の大鳥居"であるとのこと。
私はもう体力の限界を迎えていたので、探検はミゾヲチ氏に任せました。
倭文神社(ひどりじんじゃ)
さて、そろそろ日も傾いて来ましたので、遠野に帰りましょう。
行きは細々とした道を寄り道しながら来ましたが、帰りは最近整備されたらしい土淵バイパスを取って一直線に帰れます。
広く真っ直ぐな道を飛ばしていると、ミゾヲチ氏が道路沿いの山にこれまた大きな鳥居を見たとのこと。
もう一箇所ぐらいなら寄れそうなので、行ってみましょう。
初見では読めませんでしたが、「倭文神」の"シトリ"でしたね。
といいつつ御祭神は天照皇大神や瀬織津姫命......
(PS. 瀬織津姫命は、早池峰神社の御祭神で、遠野縁の神様だったようです。水神関係じゃなかったか......)
由緒は文殊菩薩を勧請したのがはじまりともあり、この神社の歴史が気になります。
民宿「古軒」へ
市街まで帰ってきました。
本日のお宿は、民宿「古軒」さん。
※撮影は翌朝
流石にシーズン外れの平日ということで他にお客さんは居らず、ミゾヲチ氏と私の二人で貸し切りでした。
女将のおばちゃんと楽しくお話しながらご飯を食べ......
疲労の極みにあった私は、そのままバタンキュー。
ミゾヲチ君は夜に近くの神社を探検しに行っていたようですが......
明日は、山登りをします。
*1:一般のご家庭であり、公開はしていないようです。